水谷豊の若い頃はイケメンではなくブサイクで娘の趣里に激似だ!

芸能人の闇

俳優として若い頃から活動してきて今となっては名俳優になった水谷豊さん

そんな水谷さんの若い頃はブサイクで娘の趣里さんに激似じゃね?!と話題になっています

水谷豊さんと言えばオジサンのイメージが強いですが若い頃から活躍してたんですよ!

なので今回この記事では水谷豊さんの若い頃はどんな感じだったのかについてまとめました。

水谷豊の若い頃はブサイク

高齢俳優の中では若い世代の人でもわりと知られている水谷豊さんは「イケメン」と言われていますがはたしてそうなのでしょうか?

確かにそこら辺のヨボヨボな高齢男性と比較すればシャキッとしていますがさすがにイケメンは言い過ぎなのではないか?という疑問が私の頭の中にはありました

なので、私なりに若い頃の水谷豊さんの画像を用いてイケメンかブサイクか検証してみました

 

これが若い頃の水谷豊さんの写真なのですが、面影はなんとなく感じられますよね!

そして肝心なイケメンかブサイクか?なのですが、お世辞にもイケメンとは思えないのが私個人的な意見であります

 

これはドラマのワンシーンの切り取りなんですけども、昭和後期を思わせるような映像だからイケメンに見えるだけで、冷静になってカッコいいかダサいかを自分に問うてみるとそこまでイケメンではないんじゃないでしょうか

 

この写真はモノクロで視線の流し方が尾坂豊風でカッコいいんですけど、冷静になって見ると彼と同じような顔をした人が街を歩いていたら「イケメン!」って思いますか?

比較してみるとこんな感じ↓↓

左が昔の水谷豊さんで右が歌手の尾崎豊さんなんですけど、こんな感じで比較するとお世辞にもイケメンとは言えないでしょう

私の予想ではありますが、芸能人ってテレビに出てるからイケメンともてはやされているから皆さんも便乗してイケメンと言ってるだけではないでしょうか?そんな気がします

 

水谷豊さんは現在は立派なオジサンだから彼の昔の画像で比較するとそりゃあイケメンに見えるでしょう(笑)そもそも昔と現在で比較するのは間違っていますし、そうすると誰でもイケメンって言っちゃいますよね!だって若くてピチピチの頃と比較をしているんですから。

水谷豊の若い頃は娘の趣里に激似!

あまり知られていないんですけど、若い頃の水谷豊さんは娘の趣里さんに激似なんですよ!

冒頭では水谷豊さんの若い頃の画像を紹介しましたが「えっ?!全然似てないじゃん」って思うかもしれませんが、激似なのは水谷豊さんの幼少期の頃の顔なんですよね

ではさっそく見てみましょう

 

これは左が水谷豊さんの少年時代の写真で、右が娘の趣里さんの小さい頃の写真になります

いかがでしょう?メッチャ似てるって思いませんか?目と鼻のカタチがソックリ!ww

趣里さんは母親の伊藤蘭さんに似てるって言われてるけど小さい頃は父親似だったんですね。

水谷豊の生い立ちを紹介

小さい頃の水谷豊さんはブサイクと言われていますが現在の彼はそこまで言われていません

じゃあ、いつ頃から彼の顔は変化していったのでしょうか?人は歳をとると顔が変わるって聞きますからこれも気になるテーマであります

なのでここからは水谷豊さんの顔が変わった過程を彼の生い立ちと合わせて紹介していきます

水谷豊の幼少期

水谷豊さんの幼少期の写真を探してみたのですが残念ながら見つかりませんでした

発見しだい更新したいと思います

でも、彼の幼少期のエピソードは語られているので紹介したいと思います

水谷豊さんは1952年7月14日に北海道芦別市に生まれました

4人兄弟の末っ子として誕生した水谷さんの父親は炭鉱技師で父親の転勤で転々としましたが8歳の時に東京都立川市で育ちました

名俳優の水谷豊さんとは言えど、生まれはごく普通だったんですね

水谷豊さんが芸能界を目指すようになったのは立川市に定着したくらいの年齢で、少年時代の彼は白黒テレビを見て「この小さな箱がどうやって映るんだろう。いつかこの小さな箱に入ってみせるぞ」となったそうです

でも当時の彼は俳優というよりかは力士の「大鵬」の流麗さに憧れて力士になりたかったそうですから現在の彼からは想像できないギャップに少しクスっとなってしまいますねw

水谷豊の学歴

1959年4月に芦別市立野花南(のかなんみなみ)小学校へ入学(2014年3月閉校)

水谷豊さんがこの小学校に在籍していたのは、廃盤レコードを特集しているブログ「懐かしいアナログ盤」に書いてありました↓↓

しかし、父親の転勤で小学4年生の時に転校

冒頭で紹介したように東京都立川市に引っ越して1964年10月に立川市立第四小学校に転入

 

この小学校の創立70周年を祝うサイン入りの色紙が学校に飾ってあるので間違いありません

1965年3月に卒業しました

✔小学生時代のエピソード2009年8月26日放送のNHK教育テレビ『LIFE:井上陽水/40年を語る』にゲスト出演した時に「少年時代はリトルリーグで野球をしていた」と語ってくれました

彼のイメージからは想像できないですよね。

 

そして1965年4月に立川市立立川第一中学校へ入学し1968年3月に卒業しました

この学校に通っていた理由は、他の卒業生のツイートで明るみになりました↓↓

後輩がつぶやいていたんですよねー

✔中学時代のエピソード中学生時代の水谷豊さんは陸上競技部に所属していてオリンピックを目指していたそうです!

野球に陸上にと、けっこうスポーツ万能なことに驚きです!

 

そして1968年4月に大成高等学校へ入学し、1971年3月に卒業しています

この高校に通っていたのも卒業生によるツイートで明るみになりました↓↓

大成高校出身で確定ですね(笑)

✔高校時代のエピソード高校時代の水谷少年はバスケットボール部で汗を流していたんだとか!

彼がスポーツが苦手そうなのは、もしかするとドラマや映画での堅い役が原因なのかもしれませんねww

 

そして水谷豊さんは大学には進学してはいないものの国立東京商船大学を受験していました

(※現・東京海洋大学)

それは、水谷豊さんのファンを27年続けている人のブログ「YUTAKA Syndromes」に同校を受験したことが掲載されてあったのと、1978年4月28日リリースされたアルバム「青春番外地」の中の「船乗りのメルヘン」という曲の歌詞の一部に“商船大学”が出てくるからです

ガッツリと記載されていますねww

曲には↓↓

行きたかったよ商船大学~ヤンパパッパ~ヤンパパッパ~商船大学~♪

と、歌詞に商船大学が出てきます

気になる方はこちらで聞いてみてください↓↓


水谷豊さんは東京商船大学の受験に失敗してしまって進学できませんでしたが、この失敗が無ければ今のように俳優として活動できていなかったでしょうね。

キャンディーズの伊藤蘭と結婚

水谷豊さんは女優で歌手でナレーターのキャンディーズに所属していた伊藤蘭さんと結婚

当時1989年でした

2人の馴れ初めは、元々雑誌の撮影に興味が無かった水谷さんは大ファンであるキャンディーズとの撮影のオファーが舞い降りてきて「キャンディーズと一緒に写れるならやる」との事で撮影に参加して初めて伊藤蘭さんと会いました

見た目通りのシャイな性格なんですね(笑)

撮影が始まると、恥ずかしがり屋な水谷さんは全く声をかけることができなかったようです

でもこのままじゃせっかくのチャンスが水の泡になってしまうとの事で勇気を振り絞ってキャンディーズがスタジオを去ろうとしてた時に声をかけて握手をしてもらいました

それが水谷豊さんと伊藤蘭さんのファーストコンタクトだったようですね

そして1982年に放送されたドラマ「あんちゃん」で共演したことで2人は意識をし合い、交際に発展し、結婚することになりました

週刊誌で当時のことを鮮明に語ってくれた水谷豊さんは、今でも妻の伊藤蘭さんを「蘭さん」と呼ぶほど大切にしており、その愛妻家ぶりは業界内やファンの間で有名です。

16歳で俳優デビュー

1965年の13歳の時に演劇に興味を持ち劇団ひまわりへ入団し、1968年にはフジテレビの「バンパイヤ」のオーディションを受けて見事に合格を果たしました

デビューしたと同時に主役に抜擢され、第一話では原作者・手塚治虫との共演をしました

 

オープニングの冒頭から、たいまつを持って左下の画面に立っているのが水谷少年です

若すぎて水谷豊さんって言わないと誰なのか分からないほどですよね(笑)

事務所を退団していた過去

13歳という若さでデビューを果たした水谷少年は早くも夢を実現してしまったおかげで高校入学後に自分にはもっと合った世界があると思っていたことと、大学受験も考えていたから当時所属していた劇団ひまわりを退団し芝居を辞めました

もしかしたら東京商船大学を受験していたから航海士を目指していたのかもしれませんね

1972年に名作「太陽にほえろ」で復帰

芸能から退いたものの、1972年に名作ドラマ「太陽にほえろ」で復活

名俳優の松田優作さんと共演しました

復帰をした理由は超が付くほどの気分屋で、芸能を退いてから浪人生活をしてるうちに「このままこんなことやっていてもいいのか?」という気持ちに強烈に駆られ「来年もう一度受けるといってもそれまで自分のこの状態じゃ持たない」とのことで自暴自棄になり2か月ほど家の近所の公園の滑り台で野宿をしたそうです

現在の水谷豊さんのイメージとはかけ離れているから想像すると笑っちゃいますね(笑)

その後、水谷豊さんんことを中学時代からよく知っているプロデューサーから「もう一度役者をやらないか?」と誘われてアルバイト感覚で役者の世界に戻りました

 

当時のシーンを見てみるとやっぱり若い頃は娘の趣里さんにソックリですね(笑)

アルバイト感覚で戻った最初の共演者が松田優作さんだなんて、なりたくても俳優になれなかった人が聞けば屈辱的でしょうねww

それだけ水谷豊さんの演技力がかわれているのでしょう。

1976年には「青春の札人者」でキネマ旬報賞主演男優賞を最年少で受賞

1976年には「青春の札人者」でキネマ旬報賞主演男優賞を最年少で受賞するという快挙を成し遂げました!この記録は今でも破られてません

髪型が時代を感じさせますねww

もし浪人生時代に大学に合格してしまっていたらこの賞は絶対にとれなかったでしょうから、そう考えると怖いですよね(笑)

紙一重とはまさにこの事ですよ。

1978年は「熱中時代」の主演で大ブレイク

1978年10月にはドラマ「熱中時代」で主演を務め最高視聴率46.7%を叩き出しブレイク

46.7%って当時でもトンデモナイ数字ですよね!視聴率の取れるTV界の有名俳優となったのがこのドラマに出演した時でした。

2000年にヒットドラマ「相棒」がスタート

2000年には水谷豊さんの代名詞にもなりつつあるドラマ「相棒」の放送が開始

これがベストセラーになったんですよね!

このドラマが国民的ドラマになったのは、シナリオからキャストまで綿密に練られ作られたドラマだからこそ長きに渡り多くのファンに支持されているのでしょう。

2017年は「TAP THE LAST SHOW」で監督デビュー

そして2017年には「TAP THE LAST SHOW」で監督としてデビューを果たしました

この映画は水谷さんが40年にもわたり構想を温め続けてきた悲願の作品で、舞台あいさつでは役のままにステッキをついて登場し「普通に歩けるのですが」と笑い「今日1日ばかりは、映画のキャラのまま過ごしていきたい」と話しました

 

この映画のオープニングでは華麗にタップダンスを披露してくれてるのがとても印象的ですね

松葉杖をついて歩く姿はとってもリアルでさすが大御所俳優ですよ!これからの活躍も楽しみですね。

⇒水谷豊の子供は娘の趣里1人で学歴も凄い!整形でブサイクから可愛くなった!

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